(上の写真は、萩ヶ丘小学校。役場HPより転載。)
ときがわカンパニー代表の関根です。
埼玉県木造公共施設シンポジウムで、長澤先生と、三井所先生が、
木造建築の近代史についてお話し下さいました。
(第2回 埼玉県木造公共施設シンポジウムに参加してきました )
私の理解の範囲で、共有します。
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●木造建築の喪失
* RC(Reinforced Concrete):鉄筋コンクリート
S(Steel):鉄骨
大正8年 公立校初のRC造*校舎(横浜と神戸)
大正12年 関東大震災 東京市 消失小学校117校、横浜市29校をRC化
昭和9年 室戸台風 大阪市全246校中 全壊28校 大破以上72%
昭和12年 日中戦争勃発
昭和13年 木材の使用制限の統制令
~昭和20年 空襲、焼夷弾により、木造建築主体の大都市が消失
昭和20年~ 戦後の木材不足:住宅の15坪制限
(1945年~)
復興市街地の火災多発
昭和24年 南九州台風災害復旧事業で、RC化を再開
昭和25年 衆議院「都市建築物の不燃化の促進に対する決議」
昭和26年 閣議決定「木材需給対策」
(都市建築物等の耐火構造化、木材消費の抑制)
昭和28年 建設省 木造住宅敬遠
昭和29年 S造*(鉄骨)校舎 JIS企画の開発
昭和30年 閣議決定「木材資源利用合理化方策」
昭和31年 文部省「木造校舎の構造設計標準(JIS A3301)」
昭和34年 伊勢湾台風
(1959年)
日本建築学会総会「建築防災に関する決議」
都市、建築の不燃化推進、木造建築禁止
☆ これ以降、昭和60年までの約25年間、大型木造建築は建設されなくなる。
木造建築の教育と研究が停止し、木造建築を造る社会の仕組みが喪失。
○戦前、戦後を通じて、「火に弱い木ではなく、S造、RC造を作ろう」という
動きだったということでしょうね。
1960年~1985年の約25年間、木造建築に関する教育、研究がほとんど行われなかったとするならば、その頃学生だった方々(ざっくり現在の50代以上の方々)は、木については、ほとんど学ぶ機会がなかったのかもしれません。
こういう「教育機会の喪失」は、後々までボディーブローのように、効いてきますね。
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●木造建築の復権
昭和34年~ 木造住宅は、工務店に依存
(1959年~)
昭和50年代後半~ 木材活用の社会的要請の高まり
一部の大学で、木構造の研究に着手
戦争末期から戦後植林した杉、ヒノキ、カラマツなどの
伐期が迫ることへの認識増
昭和60年 「学校施設における木材使用の促進について」通知
(1985年)
昭和62年 建築基準法の一部改正、木造の制限緩和
平成8年 環境を考慮した学校づくり(エコスクール)
(1996年)
平成9年 木造校舎の補助基準面拡大
平成21年 森林・林業再生プラン(農林水産省)
(2009年)
平成22年 公共建築物等木材利用促進法の制定(農林水産省)
(2010年)
平成27年 建築法改正
(2015年) 木造校舎の構造設計標準(JIS A33001)の改正
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「木促法」と略される「公共建築物等木材利用促進法」(2010年)が、保育園・幼稚園・学校の木造化、木質化にとっては、大きな追い風となっているようです。
何とかこの流れにのって、子供たちの保育、学習環境に、木を取り入れていきたいものです。
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