ときがわカンパニー代表の関根です。
比企起業大学が、100年続くには・・・と考えていく中で、ときがわ町で、100年続いているものは何かを考えるようになりました。
色々調べていくと、少なくとも2つは、近代に作られて100年経っています。
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1.七重の堰堤
図書館でもらった『改訂 ときがわ町 文化財ガイドブック』(2023)に載っていました。
「明治43年の大洪水は、大野地区に大きな被害をもたらしました。大正5年(1916年)県内で最初の砂防工事が始まり、急斜面に作られた七重の堰堤は、築城の石積み技術が応用され、百段の滝と呼ばれ、近代化遺産として評価されています」とのことです。
図書館にあった『都幾川村史 普及版 都幾川村の歩み』(2001)には、「砂防工事にとって大事な石積を習得させる為、埼玉県では築城の石積技術で有名な岐阜県の安八や墨俣の職人を招き、地元の人々はその技術を伝授された。(中略)工事は、戦争の間も続けられ、昭和40年代まで行われた。」ということで、下の写真が、工事初期(1916年)の様子だそうです。
「おー、そんな凄いのが、あるんだ~」
ということで、次男(小4)と、木のむらキャンプ場@大野に行った帰りに、寄ってみました。
キャンプ場のおじさんに、行き方を教えてもらい、山道を進んでいきます。
ありました!
お~。
「すごい~」
「これが、百年前からあるんだ~」と次男。
大きな石が積み上げられています。重機が無い中、どうやって積み上げたのでしょうか。
七重の堰堤側から、橋を見上げます。
橋から向こう側の景色も雄大です。
改めて、ときがわ町には、凄い場所がありますね。
(実は、この場所は、2019年に、大野在住のYさんに、連れてきてもらったことがありました。当時は、この凄さに気づきませんでした。Yさん、その節はありがとうございました。 https://tokigawa-company.com/hiki-day_190720/ )
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2.玉川橋
帰り道、次男が通う玉川小学校そばの「玉川橋」に寄りました。
この「玉川橋」も、100年残る建造物の一つです。
『改訂 ときがわ町 文化財ガイドブック』(2023)によると
「玉川橋は、旧来の橋の老朽化により、大正10年(1921)に、鉄筋コンクリート・アーチ型の橋に改める為、埼玉県でその第一号として、工事が始まりました。」
とのことで、当時の図面が以下です。
比企ら辺の昭和をとらえた『写真アルバム 東松山・比企の昭和』(2018)では「清流・都幾川にかかり、景観上最も優れた貴重な土木遺産であり続けている」と評されています。
「これが、100年つづいてるんだ~」と次男。
「でも、ぼく、もっと続いているとこ、知っているよ」とのこと。
「え!?どこ?」と訊いたら、
「玉川小学校。この間、150年だったよ」とのこと。
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3.玉川小学校
確かに、去年(2023年)玉小から、そんな連絡が来てました。私は行けずに、妻が参加してくれてました。
玉川小学校開校150周年記念式典
『写真アルバム 東松山・比企の昭和』(2018)によると、「現在の玉川小学校の敷地に初めて校舎が建てられたのが、明治24年(1891)で、その後、隣接地を買収し、校地を拡張して、大正4年(1915年)に全面改築した」そうです。
1891年だと、130年ちょっとなので、その前の歴史から計算して、150年なのでしょう。どっちにしても、100年以上続く学校です。
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身近に、100年以上続いているものが多くありますね。比企起業大学が、100年続くのも、夢物語ではないと思えます。
「比企ら辺まるごとキャンパス化計画」を通じて、100年続くプロジェクトを進めていきます。
皆さんのご支援を賜れましたら幸いです。
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・・・と、このブログの下書きを書いた後、次男(小4)長男(中3)と話をしました。
私:「どうですか。比企大を、100年続けたいと考えてるんだけど・・・」
長男:「遠い話だな~。100年ですか~。凄いな~って感じ。」
次男:「2017年から100年だと、あと93年だから、僕は死んでるね。受け継がないよ。」
長男:「(次男は)ぎり生きてるかも。102歳。(僕は)100歳は無理だな~。生きてられない。体がもたない」
次男:「自分の人生を行きたい。継ぐ気はない」
私:「おー、それはいいね~。お父ちゃんも好き勝手やってるから、君たちも、好き勝手やってもらっていいよ。」
長男:「誰かが継ぐ。大きくなっていくなら。」
父:「う~ん、大きくはなってないと思うよ。比企大は各学期6名ぐらいだし、数を増やすより、長く続くことを大事にしたい。仮に1~2名でも続けていこうと思ってるよ」
・・・といった話をしました。
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子供達には、自分の好きな道を歩んでほしいと思っています。
(早めに就職して独り立ちした長女、カナダに留学中の次女、彼女達も好きな道を歩んでくれていることと思います)
私にとって、比企大を続けることは、目的ではありません。(私が目指すべき目標にはしています) 手段として「ハコ(建物・看板)ホン(教科書)」を整えることで「ヒト(仲間・学習者)」ができれば、自然と続いていくのではないかと考えています。
100年後に向けて、まずは、自分たちにできることをやっていきます。子供達や将来の孫たちに、強制はしたくないので、私達は私達で、好きにやっていきます。その中で「これは続ける価値があるかも」と、子供達や孫たちに思ってもらえたら嬉しいことです。
100年後を考えて、今を生きるのは、楽しいですね。
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