「小さな町の改革〜地方創生のカギ〜」9

町の一体感を生むインフラ格差の是正

 2006年2月、関口定男さんは壮絶な選挙戦を終え、新「ときがわ町」の町長に就任した。町名は、合併協議会で決まったとおり、都幾川村の名称を継承しつつ、新しい町として多くの人に親しまれるよう「ときがわ」というひら仮名表記になった。「これから一つの町として、一体感を持ってもらえるような町政をしたい」。そう考えた関口さんは、合併した2つの村のインフラ格差を是正する整備に取り組んだ。

 合併特例債を活用して、老朽化した都幾川橋、川北橋の架け替え、公民館の建て替えなどを実施。特に旧都幾川村の山間地域の公民館は老朽化が進んでいたため、力を入れた。旧玉川村の住民から、元々隣の村だった地域が重点的に整備されていくのを見て不満を言われたこともあった。しかし、関口さんは「旧都幾川の山間地域では道路が舗装されていないところだってあります。同じ町として、まずは整備すべき地域です」と説得した。旧都幾川村の住民の中には、旧玉川村出身の関口さんが町政を担うことで、自分たちの地域が蔑ろにされるのではと思っていた人もいた。しかし、その不安を払拭。「周囲から整備された道路や公民館を見て、『綺麗になったね』と言われると、自分がほめられたように嬉しい」と喜んでくれた。

若者の声に耳を傾け、最先端の「光ファイバー」を導入

 「インターネットができない町なんかに住みたくない」。ある日、関口さんは町内に住む若者がそう不満をこぼしていることを耳にした。2007年当時、ときがわ町はインターネット接続の際にはADSL(非対称デジタル加入者線)のみが使用可能だったが、その回線すらもいっぱいで、インターネットに加入できない町民がいたという。「これからのときがわを背負っていく若い人が住みにくいと思う町のままではいられない」と、町づくりの基本計画には入っていなかったものの、急きょ光ファイバーの導入を検討し始めた。

 町は早速、光ファイバーの整備をNTTに打診。しかし、NTTは「近隣都市でも、郊外になると、まだ引いていない。ときがわ町は無理ですね」と回答、開通の目処すら立っていなかった。関口さんは「だったら、自分たちでやろう」と即座に決断。光ファイバーは計140キロ、約3億5000万円の整備費が必要だった。

ちょうどその頃、国で情報通信の地域間格差をなくそうと、「光の道」構想が掲げられ、自治体へ3分の2の補助金が出た。関口さんは「残りの負担費用が1億かかってもやる」と決意していたものの、タイミングよく国から経済危機対策臨時交付金があったため、この事業に充てることができた。実質、町からの支出は1〜2000万円程度に抑えることができた。

 2010年6月には光ファイバーが町全域で開通。近隣市町村に先駆けて最先端の情報通信インフラを持つ町となった。「今やあって当たり前のインフラで、仕事にも絶対的に必要なもの。バカにされない町になれた。若い人々が引っ越したくても引っ越せない町にはしたくなかった。若者の声に耳を傾けてよかった」と関口さんは振り返る。

利便性を高めるバスの交通網「ハブ&スポーク」方式

 町の利便性向上には、情報通信だけではなく、「人の移動」にも注目する必要があった。町内の主な公共交通機関であるバスの運行を見直した。元々、町営と民間のバス会社が独自で路線を持って運行をしていたため、便数が少なかったり、乗り換えが大変だったりした。

 そこで、2010年10月からバス運行を一本化させる「ハブ&スポーク」方式を導入。「ハブ&スポーク」方式とは、自転車の車輪のように、ハブ(車軸)となる拠点のバス停を定め、そこからスポークのように放射状に路線が延びる交通網を指す。こうすることで、中心部からどこへでも行きやすくなり、運行のロスも減る。

 町営のバスを廃止し、バス会社「イーグルバス」に補助金を出すことで、同方式を実現。ゾーン制の運賃も適用させ、運行本数も増やすことができた。それまでは、バスの本数が少なく、夕方の駅前は、子どもたちの「お迎え」の車が長蛇の列を作っていた。「送迎があって、パートにも出られないし、お酒も飲めなかったが、『バスで帰っておいで』と言えるようになった」と喜ぶ住民が多くいた。住民が「生活の質」の向上を実感できる政策となった。

元気のある町「ときがわ」

 インフラ整備が整い、町には大勢の観光客が訪れている。都心から約1時間のアクセスの良い立地でも、花しょうぶなどの自然の美しさを体験でき、温泉や道の駅など観光スポットも充実している。現在、年間入込観光客数は100万人を超え、「雰囲気がいい」と、リピート客も多いという。関口さんは、周囲から「ときがわは元気があるよね」と言われることが増えた。

 ある時、国会議員が「ときがわ町は、合併が成功した町の一つだ」と話したという。関口さんは合併後の町の舵取りを託され、「バランスを見ながら、上手にインフラ整備をしてきた」。活気づく町の姿を見ると、「両村にとっても合併してよかった」と思えた。町の未来のために一心に手腕を振るって来たが、気がつけば、ときがわ町長となって10年以上が経っていた。(辻和洋)


シリーズ「小さな町の改革〜地方創生のカギ〜」は、旧玉川村長、ときがわ町長を計5期19年務めた関口定男さんの人生を辿り、「地方創生のカギ」、「政治家としての手腕」とは何かを追いかけ、これからの行財政のあり方、政治家の育成について考えます。月1回記事を更新する予定です。

以下のボタンでシェアできます