「小さな町の改革〜地方創生のカギ〜」番外編

「小さな町の改革〜地方創生のカギ〜」番外編

シリーズ「小さな町の改革〜地方創生のカギ〜」は、旧玉川村長、ときがわ町長を計5期19年務めた関口定男さんの人生を10回にわたって追って来ました。今回は番外編として、町長に求められる力やこれからの町づくりなどについてインタビューをしました。(辻和洋)

——これまで10回にわたって関口さんの人生を語っていただきました。改めて約20年間の政治家人生を振り返ってどう思いますか。

振り返ってみると、約20年間首長職をやって、経験と能力が備わった人生の一番いい時を捧げたなと思いますね。村長だった父の息子として生まれて、たまたまそういう道に入りましたが、やりがいを感じることが多くありました。

——首長として様々な新しい政策を行ってこられました。どのようにして新しい政策のアイデアを生み出されてきたのでしょうか。

民間企業の社長をして、バランスシートも木質化もノウハウは持っていました。公にも応用できるものはないかといつも考えていました。例えば、バランスシートは町の財政内容を知るためにはとても重要です。自分の町の財政状況をトップが把握しておくのは当たり前のことで、歳入、歳出のみの議論じゃ把握できません。資産を全部洗い出して、実際はどのくらいなのか理解した上で行政をやるべきです。松下幸之助さんも公会計にもバランスシートは必要だと言っていましたからね。それを実行に移しました。

——アイデアを思いついても、実行に移すというところにまたハードルがあるように思います。

朝令暮改を恐れないことですね。今の時代は時の流れが速い。判断の間違いもあるわけです。そのまま突き進まないで、必要に応じて軌道修正をしていくことは大事なことだと思います。行政はあまり朝令暮改をしない。どうしても守りに入ってしまう。新しいことは就任してすぐにやるようにしていました。いろいろ考えてしまうとできなくなってしまうからです。最初はこっちのペースでいける。相談し始めると、「作ってもしょうがない」とか「予算がない」とか言われてしまう。乳幼児医療費無償化をしようとした時も「無理です」と言われましたが、何とかなるものなんですよね。新しいことをするには首長が、リーダーシップを発揮してやるしかないです。

——関口さんの政治家人生の中で「平成の大合併」は大きな出来事だったと思います。多くの自治体で合併協議が破談するなかで、なぜ合併できたのでしょうか。

合併するときに必ず浮上する問題は、名前と庁舎の問題。同じ規模で合併するときは、新しい町の名前と本庁舎をどこにするかは先に決めてしまわないと分裂してしまいますね。合併する自治体のトップ同士で先に決めるというのは、近隣の合併協議を見ていて思った。最後に名前でダメになった自治体がたくさんあった。どうしても自分の町の名前を使いたいとなるからね。

——なるほど。これまでの記事でも、トップ同士で合併について話し合いがもたれたシーンが出て来ました。住民から「なぜ勝手に決めたんだ」と声もありました。でも、それくらい主導権握って決めておかないと話がまとまらないということなんですね。

振り返って思うのは、合併協議に住民投票はあまり馴染まないということですね。住民の皆さんの声はとても大切だけれど、政治のプロが判断しなきゃいけないところもある。当初、玉川村の住民の8割以上が反対でしたから。でも、今10年以上経って「合併してよかったな」という声が多いわけです。合併特例債や交付税がどういうものなのか、普段から行財政を運営していないとわからないところもあります。将来に向けて、街のあり方のビジョンを描けるリーダーシップを持ってやっていく必要があります。

——ときがわ町は「合併の成功事例」とも言われています。その秘訣は何でしょうか。

初代の町長として新しい街を築いていかなくてはいけないということで、基礎づくりを一生懸命やりました。私の出身でない都幾川村の整備が遅れていた地域を先に力を入れました。都幾川村の周辺部の地域の人は、元玉川村の村長がときがわ町長になると不安になりますよね。だから中心部よりも周辺部、とりわけ整備が遅れていた都幾川村の周辺部からインフラ整備を進めました。当然バランスよくやることも考えていましたけど。また、行政機能を片方の庁舎に寄せてしまうのではなく、両方の庁舎を活用したことも住民の利便性の面では良かったかなと思います。

——合併に伴う町長選挙がありました。人口は旧都幾川村8000人に対し、関口さんの出身の玉川村は5000人。圧倒的に不利な状況でどのように選挙を戦われたのですか。

選挙に近道はないとよくいうけど。ドブ板選挙ですね。足で稼いだということですね。相手陣営はそれをしなかった。都幾川村の有権者も、隣の村の村長が来たら、「冬の寒い中、わざわざ来てくれた」と思ってくれました。ポケットにカイロを入れて手を温めて握手をする。すると、有権者は手が冷たいはずだと思っているのにびっくりしますよね。「心もあったかいんですよ」と一言かけて、人柄が出せる。自分のことを相手に知ってほしいという思う一心で工夫を凝らしていました。

——人の気持ちを大切にするということは心がけておられたのでしょうか。

建設会社の社長をしていたときと同じです。施主さんが1000万、2000万の建築の仕事を任せてくれるわけじゃないですか。その信頼に応える仕事をするのは当然じゃないですか。当選しても、期待をしてくれた住民に応えようとしてきたということです。

——一緒に仕事をする職員からはどう思われていたんでしょうか。

結構せっかちだと言われていました。思い立ったらガンガンやりますね。ついていくのは、大変だと言われたことがあります。それでも職員がついてきたのは、裏表がないからかな。仕事が遅いときは、相当叱ったこともありましたけどね。いつも、その人や住民のためを思っていたら、ついてきてくれました。

——首長にとって大事な資質は何なのでしょうか。

責任感ですね。自分は常にそう思ってやってきました。住民の皆さん喜んでもらえるような政策をやっていきたいという責任ですね。常にそれを考えて取り組んで来ました。住民の皆さんはそういうところを見ていますからね。

——多くの自治体は今、過疎問題に悩んでいます。ときがわ町はどうでしょうか。

ときがわの場合は、移住希望者が100人を超えて田舎暮らしをしたいという人がいます。でも、古民家を貸してくれる人がいません。そういう課題があります。観光客も大事ですね。「温泉道場」、「渡辺豆腐」があって、それぞれファンがいて、リピーターが多いと聞いています。ぽつぽつとカフェもできてきた。年間100万人を超え、今130万人くらいは目指そうということでやっています。都心から日帰りで田舎の体験ができる立地の良さがあります。

——地方創生が日本の将来を考える上では重要になって来ています。

田舎に住むとなると、働きやすさ、通学のしやすさが重要になります。子育て世代は将来のことを考えると、二の足を踏んでしまう。地方で爆発的に人口が増えて行くことは難しいとは思いますが、田舎暮らしがしたいという人の受け皿を整備していくことが大事ですかね。住みたいという若い人を受け入られる環境整備は必要だと思います。

——これからの政治に望むことは何でしょうか。

敏感に住民の声を感じ取るということですね。住民と話をしていていると、ひっかかることがあります。常にアンテナをはって、反応することですね。町に光ファイバーを引いた時もそうでした。役場の職員も粘り強く頑張ってくれた。政治は私利私欲でやるのではなく、志を持って住民の皆さんのためにやるという責任感をもってやってほしいですね。

(おわり)

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