何故、まるキャンを行っているのか?

ときがわカンパニー代表の関根です。

2025年2月23日(日)祝日、まるキャン「丸太看板」の1本目が建ち、応援団員の皆さん[1]へのお礼[2]も一段落したので、改めて、「何故、まるキャン(比企ら辺まるごとキャンパス化計画)を行っているのか?」を整理してみました。

1.何故、「キャンパス」なのか?

2.何故、「木の丸太看板」なのか?

3.何故、「100年続ける」なのか?

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1.何故、「キャンパス」なのか?

ときがわ町には、高校も大学も無いため、子供達は、中学校を卒業後、いったん、ときがわ町を出ていくことになります。その後は、そのまま町外で就職することが多く、ときがわ町に戻ってくる子は少ないです。それは、ときがわ町に戻ってきても、就職先が少ないことも一因でしょう[3]

そんなときがわ町には、「高校は無いけど、比企起業大学がある!」と、子供達に思ってもらえるようになりたいです。

・就職先は無いけど、自分たちで事業を起こす「ミニ起業[4]」はできる。

・その「ミニ起業」のやり方を教えてくれる「大学」が、ときがわ町にはある[5]

・実際に、ミニ起業で生計を立てている先輩たちが、比企ら辺にはたくさんいる。(現時点で卒業生70名[6]

と、子供達に思ってもらえたらと願っています。

ときがわ町を中心に、比企ら辺にたくさんの「比企起業大学 キャンパス」の看板があれば、「あ~、ここには、比企起業大学があるんだ~」と目にとまり、比企起業大学の存在を当たり前に感じてもらえるかもしれません。

更に、「校舎」という建物ではなく、地域全体を「キャンパス」に見立てることで、

・自分たちは、「大学のキャンパス」という学びの場に住んでいる

とも思ってもらえるかもしれません。

私は、アメリカの大学を卒業しているのですが、向こうでは広いキャンパスの中に、校舎、学生寮、食堂、更には、先生たちが住む家もあり、地域全体が「学びのキャンパス」という雰囲気でした。その中にいるだけで、なんとなく「学びたくなる」雰囲気があったのです。

実は、私達がいるときがわ町には、飛鳥時代(673年)からの「学びのメッカ」である慈光寺[7]があります。(当時、「西の延暦寺、東の慈光寺」と呼ばれていたそうです。今で言えば「西の京大、東の東大」と同じです。)

更に、昭和(1930年代)に入ると、安岡正篤先生[8]が「日本農士学校」を、隣町の嵐山町に設立され、東洋哲学と農業を学ぶ場が作られました。

飛鳥時代から現代にいたる「学びの地」が、この比企ら辺なのです。その学びの伝統を、比企起業大学が受け継いでいけたらと考えています。

令和の今(2025年~)改めて、比企ら辺を「学びのキャンパス」とすることで、

・町を出た子供たちが、戻ってきたくなる。

・戻ってきた時に、「ミニ起業」という選択肢なら、応援できる学校もあり、先輩たちもいる。

そんな状態を作るために、比企ら辺を「キャンパス」と見立てる活動を、まるキャン(比企ら辺まるごとキャンパス化計画)では行っています。

改めて、何故、「キャンパス」なのか?

・比企ら辺は、昔から「学びの地」であった。

・今は「高校は無いけど、比企大はある!」と思ってもらいたい。

・キャンパスとなることで、地域全体が、「学ぶ雰囲気」となる[9]

そうなっていけたらと願っています。

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2.何故、「木の丸太看板」なのか?

比企ら辺まるごとキャンパス化計画では、「木の丸太看板」を、比企ら辺に20本建てることで、地域全体を「キャンパス」に見立てる活動を行っています。

では、何故、「木の丸太看板」なのか?

それは、「木の地産地消」を支援したいからです。

この考え方は、山口直さん(比企院3期生)に教えてもらいました。ときがわ町の木(スギ、ヒノキ)を使って、比企ら辺に、丸太看板を作ることにより、「木の地産地消」の小さな実践例となっていくのです。

今のときがわ町に見られる山林は、戦後、国の施策で植えられた杉、檜の針葉樹が中心です。すでに、樹齢70年を過ぎているような木は、二酸化炭素吸収力が衰える為、本来は伐って、若い木に植え替えていくことが必要になります。ところが、外国産材の安さに押され、国産材の木は伐られることなく、残ってきてしまいました。木を伐るには、道路の整備、伐採、運搬等のコストがかかります。そこまでコストをかけても、売値が安い為、割に合わず、山主さん達のモチベーションが下がっているのです。

山に人の手が入らないことで、山の中が荒れ、太陽の光も入らず、育つ針葉樹も細いものが多くなっています。広葉樹と違い、針葉樹は根の張り方も狭いので、土を止めきれず、大雨や台風時には、土砂災害が起こりやすくなっています[10]。山が荒れると、川にも悪影響がでます。ひいては、下流の都会の人たちへの影響(飲料水の確保等)が出てきます。

こういった「山の問題」に関心を持ってもらうために、まるキャンでは「木の丸太看板」を作り、「木の地産地消」を支援しています。

実は、これは、私にとっては、2度目の挑戦です。

1度目は、2016年1月、ときがわカンパニー設立当初でした。

当時、「ときがわ町の強みは何だろう?」と探っていった中で出会ったのが、「学校や保育園の内装木質化」でした。これは、ときがわ町初代町長の関口定男氏が始めたもので、文部科学省・農林水産省から「ときがわ方式[11]」として、全国に事例紹介もされています。

私達も、関口氏の指導を受けながら、内装木質化の活動を進めてきました[12]。お陰様で、いくつかの保育園、幼稚園で、ときがわの木材を使って頂くことが出来ました。また、木材活用促進のパンフレットも制作しました。当時、関わって下さった林業関係者の皆さんや工務店の方々、自治体、保育園・幼稚園関係者の方々、そしてインテリア事業部を引っ張ってくれた林博之さんに感謝しています[13]

しかし、実施していく中で、木や山の世界の奥深さと、私自身の力不足を感じることが多く、約2年経った時点で、この事業からの撤退を決めました[14]。自社の強みである「人材育成事業」に集中することにしたのです。それが、2017年から続いている現在の比企起業大学・大学院に繋がってきます。

そんな中でも、「木と山の問題」は、常に意識していて、「何か、自分にできることはないのか」と悩んできました。

そんな時、出会ったのが、山口直さん(以下、山なおさん)でした。彼とは、2019年に、ニュー喫茶幻@鳩山(比企院2期生の菅沼さん、3期生のトヨさんが経営)で出会いました[15]。その後、山なおさんは、起業相談[16]に来られた後、比企起業塾に3期生として参加され、今は独立して、仲間と共に活動をされています。

山なおさんの事業(木の地産地消)を応援することで、ときがわの「木と山の問題」解決につながるのではないか。それが、まるキャンで「木の丸太看板」を建てている理由です。

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3.何故、「100年続ける」なのか?

このまるキャン(比企ら辺まるごとキャンパス化計画)は、「100年続ける」事業として、スタートさせました[17]

何故、「100年続ける」なのか?

それは、そうしたほうがより難易度が上がり、挑戦しがいがあるからです。あえて、「え~、それは無理だろう」「ちょっと難しいのでは」というぐらい高い目標のほうが、私は燃えます。

最初のきっかけは、24年5月に、自分の母校(University of Southern Mississippi)を訪ねた時、そこが、創立100年を超えたことを知った時でした[18]。100年経っても、大事にされている様子が伝わり、町自体も大学キャンパスがある地域として、元気そうでした。約30年前に自分が留学していた時は、荒れ果てていたダウンタウンも、今では小さな美術館やオシャレなお店があったりして活気づいていました[19]

もし、この大学町と同じように、比企起業大学キャンパスが、地域の中心として、100年続いていれば、比企ら辺も、元気な人達が活動してくれているかもしれません。過疎化、少子化、高齢化が叫ばれ、暗い未来像しか見えづらい中、一筋の希望になるのではないか、とそう考えました[20]

100年後、当然、自分は死んでますし、もし関根家が続いていたとしても、曾孫、玄孫(やしゃご)の世代になっているでしょう。そこまで続けることを考えて、まるキャンを始めれば、普通の事業よりも更に長期的で多面的な計画と実行が必要になります。それは、とても、挑戦しがいのあるやりがいのあるテーマです。

ただ、ここで大きな問題にぶち当たることになりました。

それが「木は腐る」という問題でした。

長く残すなら、石碑のように、石を使った方が残りやすくなります。実際、地域には、過去の先輩たちが残した石碑があちこちに見られます。丸太看板も数か所建っているのですが、それらは風雨にさらされ、傷みが目立ちます。おそらく、まるキャンの「木の丸太看板」も、腐っていくでしょう。

どうしたらよいのか・・・。

解決の糸口となったのが、伊勢神宮の「式年遷宮」でした。20年に一回、古くなった木の神社から、新しい木の神社に、神様にお遷り頂くというものです[21]

「これだ!」と思いました。

木が傷み、腐るなら、20年に一度、交換しよう。そうすれば、また木を伐って使うことになり、更なる木の地産地消に繋がっていく。

そこで、2025年に1本目を建て、2044年に20本目を建てる。2045年には、最初の1本目を建て替える。その後は、2本目以降を同じように建て替えていくことにしました。

式年遷宮の目的の一つは、伝統技術の継承だそうです。失われてしまう伝統技術を、20年に1回、着実に使う場所を残していくのだそうです。使う機会が無くなれば、技術は廃れていくということでしょう。

山なおさんと話をしていく中で、「木の丸太看板」を作る過程においても、残しておくべき伝統技術が数多くあることを知りました[22]。もしそうであるならば、小さな機会ですが、木の丸太看板を作り続けていくことで、残される伝統技術もあるでしょう。家や大きな建築物を建てる前の「練習場所」として、木の丸太看板づくりが活かせるかもしれません。

更に、100年続けることを考えた時、これは自分達「人の力」だけでは足りない。「神様・仏様」のお力を借りようと思いました。こういう考えに至ったのは、山伏の瀧田さんとの出会いが大きいです[23]

瀧田さんと出会い、秩父の両神山や三峯神社を一緒に登ったり、ときがわの低山を歩くようになったりしてから、土地の神様・仏様の存在を、より身近に感じるようになりました。

特に、コロナ禍で、人に会えず、山の中で、獣たち(シカやイノシシ)の気配を感じた時、「人間は、世界の支配者ではない。ちっぽけな存在である」ことを、肌で実感しました。そうであれば、ちっぽけな人間はできる限りのことをやり、あとは神様・仏様に任せよう。そんな風に考えるようになりました。

そこで、「木の丸太看板」そのものを、「双体道祖神(夫婦の神様)」に見立て、地域に「ゆるやかな結界」を作り、比企ら辺を守護してもらおうと考えました。都会の価値観やグローバル資本主義といった大きな流れから、地域の伝統や田舎の良さを守る為です[24]。例えば、ときがわ町には、マクドやスタバといったナショナルチェーンが無く、地域の人達の個性豊かなカフェが点在しています。こういう地域の個性を守ることも、「ゆるやかな結界」の一つの役割になるかもしれません。

神様・仏様のご加護を得て、長く続けていくためにも、「木の丸太看板」を建てる流れを、それぞれ「お祭り」という形にしました。まずは、山の問題を知ってもらうためにも、実際に山の中に入って木を伐る手伝いをする「ばっさい(伐採)祭り[25]」。伐った丸太を乾燥させ、表面に「比企起業大学 キャンパス」という文字を皆で彫刻刀で彫る「ほりほり祭り[26]」。そして、丸太看板を皆で神輿のように運び据え付ける「わっしょい祭り[27]」。

これらが、神様・仏様のご加護を祈る「お祭り」として、地域に定着していけば、100年続く可能性が高まるかもしれません[28]

まるキャンを「100年続ける!」と決めたことで、

・より難易度の高い挑戦になる

・木の伝統技術の継承にもつながる

・人間の小ささを知り、人間以外の力(神様・仏様)に頼る気持ちになる

こととなりました。

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以上、1.何故、「キャンパス」 2.何故、「木の看板」 3.何故、「100年続ける」 について、私が考える理由を述べました。

皆さんの変わらぬご支援を賜れましたら幸いです。比企つづきよろしくお願いします。

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●脚注

[1] 2024年8月~9月に募集した「比企起業大学 応援団員 第1期」を通じて、44名の方々(法人応援団員:11社様、個人応援団員:4名様、一般応援団員:29名様)が、応援団員になって下さいました。ありがとうございます。 https://hiki-kigyo-college.com/2024/08/29/hkc-supporters24/

[2] 応援団員の皆さんにお送りした小さなプレゼントと応援団員の方々からのメッセージ https://tokigawa-company.com/tiny-gift/

[3] 広報ときがわ(2023年12月号)「ときがわ町、人口減少中。」https://www.town.tokigawa.lg.jp/div/0000/pdf/kouhouR5/No12/tokigawa213w_03.pdf

[4] 比企起業大学が考える「ミニ起業」は、年収300万~1000万、従業員を雇わない「1人ビジネス」のことです。「小さく始めて、大きくせずに、長く続ける」事業スタイルを推奨しています。 https://hiki-kigyo-college.com/micro-entrepreneurship/

[5] 比企起業大学のウェブサイト https://hiki-kigyo-college.com/

[6] 2024年5月「比企起業大学IRアンケート結果」https://hiki-kigyo-college.com/2024/05/05/ir-questionnair_240505/

[7] 都幾山 慈光寺について https://www.temple.or.jp/about

[8] 安岡正篤(やすおか・まさひろ)略歴 https://kyogaku.or.jp/yasuoka/about.html

[9] 2023年3月に、「学習学」を提唱されている本間正人先生と「学習する地域であり続けるために~比企起業大学の挑戦」という講座を実施。https://hiki-kigyo-college.com/2023/03/09/learning-region_230308/

[10] 「森林は今」https://www.town.tokigawa.lg.jp/div/202020/pdf/kosodate/k_10-11.pdf 「木育て ときがわ」(2017)

[11] ときがわ町役場のホームページ「木の学校・木の学校づくり」https://www.town.tokigawa.lg.jp/Menu/81

[12] 「木の活用」に関するときがわカンパニーの記事 https://tokigawa-company.com/kinokatuyo/

[13] 「広報ときがわ(23年12月号)」掲載への謝辞 https://tokigawa-company.com/koho-tokigawa-23december/

[14] 2017年2月に、ランチェスター経営 竹田陽一先生との合宿に参加した際、竹田先生から懇親会でひざ詰めで「関根さん、上手くいかないからやめなさい」と懇々と諭されました。「お客も違う、商品も違うのだから、上手くいくはずがない」と。「木と山の問題解決」に挑む事業は、いわゆる「自殺の第四象限」と呼ばれる領域への挑戦でした。当時は、1社目の経営を10年以上行い、それなりに数字も出していたので、傲慢になっていました。「自分なら大丈夫!」という根拠のない自信を持っていました。そんな自分が、早めに撤退の判断ができたのも、竹田先生のお陰です。言いづらいこと、厳しいことを言って下さったことに、感謝をしています。https://www.learn-well.com/blog/2017/02/post_487.html

[15] 山なおさんと出会ったニュー喫茶幻@鳩山 https://tokigawa-company.com/shucchou-kigyo-soudanhatoyama_190220/

[16] 山なおさんの起業相談 https://tokigawa-company.com/yamaguchisan_190310/

[17]  2024年7月 比企起業大学の記事「比企起業大学が、100年続くために・・・」 https://hiki-kigyo-college.com/2024/07/06/100years-for-hiki-kigyo-college/

[18] 2024年5月 アメリカ出張時に訪れた母校の様子 https://www.learn-well.com/blog/2024/05/university-of-southern-mississippi.html

[19] ハティスバーグ市のダウンタウンの様子 https://www.learn-well.com/blog/2024/05/hattiesburg-pocket-museum.html

[20] 「こうなっていたらいいな」という未来像を描く際、久保田ナオさん(比企院1期生)にお力になって頂きました。ナオさんや比企起業大学学長の風間さん、比企大メンバー金井さん達との意見交換を通じて、徐々に、比企ら辺の未来地図が出来てきました。「未来地図」https://tokigawa-company.com/maru-can-future-map_240730/

[21] 伊勢神宮 式年遷宮  https://www.isejingu.or.jp/sengu/

[22] 2025年1月に、山なおさんと参加したセミナー https://www.learn-well.com/blog/2025/01/building-eternity.html

[23] 2019年6月 尾上さん(比企院1期生)のご紹介で、瀧田さんとお会いしました https://tokigawa-company.com/yamabushi-onouesan-mtg_190615/

[24] 2024年9月に行った勉強会「比企起業大学が100年続くために」の内容 https://hiki-kigyo-college.com/2024/09/27/dao-3rd-100yrs/

[25] 2024年11月に実施した「ばっさい祭り」の様子。伐採士のOさんにお力添え頂きました。 https://tokigawa-company.com/marucan-bassai-matsuri_24/

[26] 2024年12月に実施した「ほりほり祭り」の様子。彫刻家の高橋れい子さん、木工家の佐藤克己さん(比企大23秋)に多大なるご支援を頂きました。 https://tokigawa-company.com/hori-hori-matsuri-done_241208/

[27] 2025年1月に実施した「わっしょい祭り」の様子。キッチンあすなろさんには、駐車場を快く使わせて頂き、直会(夕食会)でも美味しい食事を頂きました。 https://tokigawa-company.com/1st-wasshoi-matsuri-done_250125/

[28] ときがわ町五明の氏神様 春日神社でのお祭り「団子投げ祭り」は、コロナ禍を経て、今も続いています。 https://tokigawa-company.com/february11th_event/

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投稿者プロフィール

関根 雅泰

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