第28回「本屋ときがわ町」を開催しました。

ときがわカンパニー代表の関根です。

2021年7月18日(日)10時~15時、第28回「本屋ときがわ町」を開催しました。

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日曜日(18日)10時~15時、第28回「本屋ときがわ町」スタートです!

出店者紹介(1)移動絵本屋てくてく 小原さん。

「外の絵本は、子育て。中の本は、生き物がテーマです。」

出店者紹介(2)雑本のFull本屋&民俗学ノユーク@坂戸市。

ユカさんが寄稿されたZineと、

娘さんのブックカバーも販売中。

午後の「哲学カフェ」にあわせて、哲学本も置いています。

出店者紹介(3)しるし士本ioffice店。

イブキと水間さんが作ってくれたときがわ杉材(やまなおさん)の「移動式本棚」今日も大活躍です!

これのお陰で、出店が凄く楽になりました。感謝!

 https://tokigawa-company.com/book-shelf-ibuki/ 

先月(6月)「限界集落株式会社」を購入下さった方が「続きを読みたくて、また来ました」と言って下さり「脱・限界集落株式会社」も購入して下さいました。

次女の作品「本に隠された世界」も、じっくり見た上で、すごく褒めて下さいました。感謝!

よく来て下さるKさんご家族。

前はベビーカーに乗ってきた子供達が、歩いてやってきました。徐々に大きくなっていっているのが、可愛いですね。

小原さんの絵本「めっきらもっきらどーんどーん」を「これは傑作ですよ!」とお薦めしたら「傑作なら」ということで購入下さいました。感謝!

ときがわ材の製材をしているヤマナオさんから差し入れを頂戴しました。感謝!

「ときがわの林業本ありますか?」と言うので「国レベルなら」と、「白書」を買ってもらいました。ときがわ社中の風間さんが「図書館で探してみますか」と、二人で近くの図書館に行かれました。

13時からの「哲学カフェ」を主宰される遠山さん。

「哲学とは?」という風間さんからの問いに「これです!」と即答。アリストテレスの『二コマコス倫理学』。かなり深そうです。

ときがわ町観光協会@明覚駅で、本屋ときがわ町を紹介されたというMiさんご夫妻@さいたま市。

オクムサマルシェ@越生をきっかけに、この周辺によく来て下さっているそうです。ご無理を言って「哲学カフェ」にも参加して頂きました。感謝!

遠山哲也さんの『哲学カフェ ~アリストテレスの倫理学~「善いこと」とは何か、「善いこと」はなぜ「善い」のか~』が、スタートしました!

(参加者7名に、のちほど1名遅れて参加で、計8名)

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以下、風間さんのメモ(ありがとうございます!)

Haさん・・・ときがわ町に興味ある。本屋ときがわ町のことを関根さんから聞いて

Yaさん・・・4月にときがわ町に移住。柳瀬園長から本屋ときがわ町のことを聞いて

Miさん・・・『カフェびより』を見て、古民家中心に巡っている。今日は枇杏に。『ときがわ職人図鑑』すばらしい!

  • 哲学カフェの趣旨

・哲学普及会社 日本で2社目

・哲学者と思想家の違い

 普遍的なものを求めるかどうか

 思想家・・・主張、宗教的

 哲学・・・国や時代を超えて変わらないもの

・『ソフィーの世界』は入口としていい本。

『ソフィーの世界』を読んで、哲学とは「問いを立てること」ではないかと考えたことがあった

・哲学を学ぶことは重要。自然科学は、自分がどう生きるかには影響しないのではないか

・出口治明さんがいうには、人文科学が後回しになっているということを述べている

・フランスでは、バカロレアというセンター試験のような共通テストで、2000字くらい哲学的な問いについて考えを書かせる

・日本では江戸期から明治、戦後にかけて、思想的な断絶があった。

  • アリストテレス

・自分が一番好きな哲学者

・アリストテレスがやったことすべてが、後の人が各分野を学問に昇華していった

・プラトンの弟子。でもどんどん反対意見を出した

・ギリシアの哲学者には人格的な高潔さが求められた

・ファッションが奇抜だった?

・「倫理学」を題材に

・哲学の語源「フィロソフィア」

 「フィロ=愛する」、「ソフィア=知」

 明治時代に最初に訳されたのは「希哲学(きてつがく)」だった

 → すばらしい状態を目指す活動

   すばらしい状態そのものを指すものではない(状態は固定されたもの)

・哲学は名詞ではなく動詞。問いを立て続ける

・プラトンに師事した後、後継者争いに敗れて放浪の旅に出る。十数年の間、生き物の採集などに取り組んでいた

  • 善とは何か

・『ニコマコス倫理学』

 善・悪は、「その人」について以前に、その人のなす「行為」にある

 「人格」は、己の判断した行為の積み重ねで決する

 自らが選択し、行為した結果である

 → 判断するのは「社会」(ポリス社会)

   直接民主制

   貴族男性にとって望まれるあり方

・「平等」「自由」表面的には良く見える

 → 報道されていない不平等、格差がある

・自分で考えて、判断することが今後ますます必要ではないか

・ドイツでは討論番組が多い

 → 「人生で大切なものは何か」などをテーマに

 

  • どうしたら善といえるのか?

・「中庸」

・悪とは何か? → 性質が極端な状態。マイナスの極端は「不足、臆病」、プラスの極端は「過剰、無謀」

・臆病と無謀の中間が「勇敢」

 ただし、数学的な中間点ではない。

 そう簡単に割り切れない

 同じ「勇敢さ」でも、どんな状況でそれを問題にするかによって、「中庸」のレベルは変わる

 → それを判断するのが人間の「理性」

・哲学が好きだけど、人に話すときは揺れている。話過ぎるとひかれるし、話さなすぎても伝えられない

・善と悪

 Haさん より多くの人や自然にとって良いことをすること。行動は小さなところから

 Yaさん 少林寺拳法の世界で生きてきた。それ以外に興味が持てなかった。先生が子どもを叱るとき、表面的な部分だけを見て叱っていた。何を見ていたんだろう。広い視野で見ないと。子どもはよく見ている

・何をもって善・悪とするか

 人間は社会的存在である。社会との関わりにとって自分が定義される

 → 個人的には、最後は「自己満足」に近いのでは

  倫理学の目的とは、何を求めているか、何に至ろうとしているのか

  「神のような存在」に近づいていくこと

  目指しているのは「抽象100%、具体性0%」

・人間が人間らしくあるには「理性をはたらかせること」

・すべて「私」が介在している

 私から見た相互作用としての「世界」

・目に見えるものの探究 → 形而上学 → 倫理学

・良い料理人

  理論を知っているけど、どの肉が健康にいいかを知らない

この肉が健康にいいという具体例だけを知っているけど、理論知らない

両方知っていて、料理法を知っている料理人が一番良い

→ 誰にとっていいのか?

  判断する主体が必要、重要

・倫理学 行為が問題になる

 具体的な行為の場には、目指すべき抽象がある

 抽象と行為が結びついている状態が理想

  • 感想

・ときがわ町すばらしいところ

・なかなか触れない機会だったので大切な時間だった。また機会があれば

・話を聞きながら、善悪を判断する主体があるのではないかということを考えた。ビジネスに関係があって興味深い

・死生観のようなテーマで論じ合ってみたい

・哲学の本を読んだことあるが、あまり理解できなかった。もっとたくさん話を聞きたいと思った

・来る前からステキな一日になるのではと予感していて、そのとおりになった。ステキな人たちともお知り合いになれた。ありがとうございました

・遠山さんのおかげで、いろんなステキな人たちに参加してもらえた。ありがとうございました

・みんな「哲学者」と名乗ってもいいくらい!

 回によっては寂しい感じで終わることもあるので、今日は参加者が良かった。

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遠山さん、ご参加された皆さん、ありがとうございました!

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暑かったのですが

今回も

多くの方々に来ていただきました。

どうもありがとうございました!

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今後に向けて

・告知ページに、場所へのアクセス(地図)を載せる。(風間さん対応済み)

・新聞折込チラシは、結構見られているそう。

・今後は、町の広報への掲載依頼を検討。

・パラソルと椅子は良かった。もう少し、涼しさを演出したい。

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次回は、8月15日(日)です。お楽しみに!

 

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