ときがわカンパニー代表の関根です。
2020年10月22日(木)13時~14時、まなびしごとLABの風間さんと一緒に、はなぞの保育園の柳瀬園長先生のインタビューをさせてもらいました。
(風間さんと共に執筆している「ときがわ本」の取材として)
うちは、次女(中3)長男(小5)そして、次男(年長)も、はなぞの保育園です。(長女のみは、寄居町のゆずのき保育園)
園長先生のお話を、私の理解の範囲で記録に残しておきます。
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●慈光寺
・673年
・京都から見たら、辺境の関東で、慈光寺が開かれた。
・おそらく渡来人が支援。
・天台宗
・源頼朝が、奥州征伐の必勝祈願を行った。(本人ではなく家来が)
●霊山院 りょうぜんいん
・1197年に、慈光寺の塔頭として創建
・今は、臨済宗
・栄朝禅師えいちょうぜんじ が、初代。この方は、中国にも留学しているエリートだった。
・「沙石集」に、栄朝禅師の話が出ていた。
・郷土史家の塚越先生によると「都幾川」という言葉は、古代新羅語で「日の出見る丘」という意味があるそう。
●皎円寺
・1242年 皎円寺が開かれた。(園長先生のお寺)
・木曽義仲の父、源義朝の弟 源義賢よしたかの菩提寺。・源義賢の家来7人が、今、流鏑馬@萩日吉神社を行っている。
・木曽義仲の乳母を務めた荻窪氏。・瀬戸の乳母沢という川や、乳母神社は、荻窪氏が由来。
●日本農士学校 (現在は、郷学研修所)
・安岡正篤先生が開校。柳瀬有禅ゆうぜん先生(園長先生のお父さん)が、九州から呼ばれた。・朝に学問、午後は労働。
・関根茂章先生(元嵐山町長)の著書「師父列伝」に、柳瀬有禅先生も載っている。
・柳瀬有禅先生が、出家して、玉川へ。今宮神社で、託児所をスタート。関口前町長が子供の頃に通ってた。
・柳瀬有禅先生は、玉川工業高校の設立にも尽力。元々小川高校の分校が、山田屋(とうふ工房わたなべの前)にあった。それが、玉川工高となった。初代校長は、浦和高校の寮歌を作った藤倉先生。
●ときがわ町
・外の人を受け入れるフランクさがある。
・よく町外の人からは、活気があると言われる。行政だけでなく、民間の人が、良く何かをやっている。
・園でも、親のほうから「これをやりたい!」と言ってきてくれる。「とうちゃんず」もそうでした。
・ここに生まれ育ってよかったと思ってもらえる町でありたい。
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柳瀬園長先生、お忙しい中ありがとうございました!
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