「小さな町の改革〜地方創生のカギ〜」10

「小さな町の改革〜地方創生のカギ〜」10

後継者探し

 玉川村と都幾川村の合併後、関口定男さんはときがわ町の初代町長に就任し、町の一体感を生むため、橋梁、公民館、学校、情報通信網、交通網など様々なインフラの整備を行い、また、住民サービスの向上にも手腕を振るってきた。おおよそ、町全体のインフラが整い始めた頃、気がつけば3期目に突入していた。「玉川村の村長2期7年、ときがわ町3期12年で合わせて5期。もうそろそろ引き際かもしれないな」

 材木業や建設業の会社を経営してきた経験を生かし、約20年間でハード面はほとんど整えられたという手応えがあった。合併特例債の返済の目処が立ち、財政的にも安定していた。町役場の職員も丁寧な仕事をしてくれるようになった。「安心して次の人にバトンタッチできる」と、後継者を考え始めた。

 「町のみなさんが信頼する人じゃないといけない。そして経営感覚がある人がいい」。そう考えを巡らすと、すぐに思い浮かぶ人がいた。「とうふ工房わたなべ」の渡邉一美さん(写真左)。関口さんが玉川村長の時代から勉強会などで顔を合わせる10年来の付き合いだった。渡邉さんは、ときがわ町で豆腐の製造・小売店を2代目社長として経営。値引き交渉がすさまじいスーパーへの卸売から、直販に切り替え、高品質な豆腐の製造を追求し、人気店として成功を収めていた。現在では、年間約25万人の来店があるという。ときがわ町の年間観光客約100万人のうち、4人に1人は来店していることになる。「私と同じ2代目で、会社を大きくした才覚はきっと町長としても生きる」と関口さんは考えた。

(ときがわ町長室)

町長をバトンタッチ

 3期目の任期満了は2018年2月。その半年前、渡邉さんに町長室に来てもらい、「私は今期でやめる。何とか次期の町長をやってくれませんか」と打ち明けた。しかし、その時は渡邉さんから返事はなかった。その後、関口さんは渡邉さんと親しい人たちにも頼み込んだ。そして、最終的に家族を説得してきた渡邉さんは「出ます」と返事をくれた。

 現職町長は任期満了が近づくと、町議会定例会の最終日に出馬表明するのが慣習だが、関口さんは退任を決意していたため、何も言わなかった。その後、秋頃に渡邉さんと一緒に記者会見に臨み、後継指名という形で渡邉さんが出馬表明することを伝えた。それと同時に記者会見は、今期で政治家人生を終えることが決まった瞬間だった。最終的に対抗馬は現れず、無投票で渡邉さんが次期町長になることが決まった。

(関口さんが町長時代のプレート)

 2018年2月28日の登庁最終日。関口さんは「大変お世話になりました。職員のみなさん、はじめのうちは来庁された方に『役所の対応はどうでした』と尋ねたら返事はありませんでした。しばらくすると『よかった』と言われるようになりました。今では『大変よかった』と言われるまでになりました。成長してくれてどうもありがとう。役所に訪れた人が気持ちよく帰れる住民サービス第一の雰囲気になりました」とあいさつした。午後5時、花束をもらって役場を後にした。

 多くの職員に慕われ、送別会は、それぞれ若手、中堅、幹部と計3回開かれた。新町長になった渡邉さんには「これまでハード面中心でやってきたので、ソフト面で頑張ってほしい。入り込み観光客数は100万人なった。あと30万人は増やす努力をしてもらえれば」と想いを託した。

(ときがわ町の職員らで開催された関口さんの「送別会」)

一住民として町を愛する

 約20年、政治家として「人生を捧げて夢中になって、一生懸命やってきた」。退任してからもしばらく町長をやめたという実感はなかったが、毎日ネクタイを締めなくなったり、車が迎えに来なくなったりして、生活が変わったことで徐々に実感するようになった。少し寂しい気持ちにもなった。
 現在は、埼玉県中央部森林組合の顧問としてさまざまな場所で、木材の活用について話し合っている。さらに「ときがわカンパニー」の会長としても活動に対する助言を行っている。また、昔からの趣味であるドラムも楽しみ、町のイベントで演奏することもある。「時間に余裕ができても、まだ使い方は下手ですね」と苦笑い。これからは、一住民として町を愛していくつもりだ。(辻和洋)


シリーズ「小さな町の改革〜地方創生のカギ〜」は、旧玉川村長、ときがわ町長を計5期19年務めた関口定男さんの人生を辿り、「地方創生のカギ」、「政治家としての手腕」とは何かを追いかけ、これからの行財政のあり方、政治家の育成について考えます。月1回記事を更新する予定です。

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