「小さな町の改革〜地方創生のカギ〜」取材後記

「小さな町の改革〜地方創生のカギ〜」取材後記

 約1年にわたり、旧玉川村長、ときがわ町長を計5期19年務めた関口定男さんの人生を振り返ってきました。私は選挙などを中心に様々な政治家を取材してきた元記者として、そして働く人々の成長を考える人材育成の研究者として「地方創生のカギ」、「政治家としての手腕」とは何かというテーマを持ちながらインタビューを続けてきました。

 これまでの記事にもあったようにときがわ町は「平成の大合併」によって2つの村が一つになって誕生した町です。自治体の合併には功罪があり、行財政の効率化が図れる一方、ともすれば住民サービスの低下、住民の連帯感の低下、周辺部の衰退など様々な弊害が生まれます。しかし、「ときがわは合併の成功事例」とも言われ、活性化した町として捉えられています。この成果は初代町長の関口さんの手腕によるところが大きいです。

関口さんの手腕とは一体何だったのか、インタビューを通じて見えてきたものを3つの点から紹介します。

人望を得ること

 関口さんを一言で表すと「信用」という言葉が浮かびます。人からの信用を最も大切にして来られたというのが、言葉の節々から伝わってきました。
 政治家は弁士として美辞麗句を並べがちですが、とりわけ大切なのはそれに伴う行動。選挙戦ではもっともらしい公約を掲げながら、当選後は説明もなしに改変していたり、撤回していたりする政治家がいます。国政では不適切な発言で辞任するなど、言葉すらもうまく操れない政治家もいます。「信用」をないがしろにする政治家は少なくありません。
 関口さんは、玉川村で初めて首長になる時、自らの会社をたたみました。順調に成長を続ける会社を解散し、貯金や子どもの学資保険などの家の財産をすべて使って従業員全員に現金を支払いました。父から継いだ会社を必死に成長させ、苦労して貯めてきた私財を投げ打ってでも人に迷惑をかけないという姿勢は、「信用」を最も大切にされていることが窺えます。そして、後に行われた合併に伴う選挙では「元従業員たちがかなり協力してくれた」と、会社を解散した後も関口さんを慕ってくれる元従業員が大勢いたといいます。
 しかし、政界に入ると、他人からは裏切られる出来事がありました。当時の現職村長に後継指名され、覚悟を決めて出馬の意向を伝えると、撤回されました。合併の際には、合併相手の現職村長から「出馬しない」と言われていたものの、直前になって反旗を翻して出馬され、相手村の人口が圧倒的に多い中で一騎打ちの選挙戦となりました。
 それでもなお、「気持ちを動かすのは気持ち」として、合併に伴う選挙戦では、真冬の寒さの中、一軒一軒挨拶回りをされました。勝利したのは、こうした有権者の心に直接訴えかけることを惜しまなかったことだと振り返っておられました。また、合併後も、整備の遅れている地域から重点的に政策を実行して来られたことも町の一体感を生むきっかけになりました。
 誠意を持って人と接すること、他者との共感を醸成し、人望を得ることは、どんなに環境が変化しても大切なことかもしれません。

アイデアを生み出し、実行すること

 イノベーションを起こすには、アイデアを創出し、実行に移すことが求められます。関口さんは、学校の校舎の木質化やバランシートの導入など、前例のない斬新なアイデアを持って政策を実行され、また役場内でも意識改革に取り組んで来られました。
 アイデアを生み出すためには、常に学習する姿勢が欠かせないように思います。インタビュー中、会社社長時代、議員時代、首長時代の話を聞く中で、関口さんからよく出てきたのが「勉強会」という言葉でした。同じような立場の人々の集まりや、地域や世代を超えた集まりなどに顔を出し、貪欲に学ばれてきたことがわかります。実務経験のほか、勉強会がアイデアの源泉になっておられたように感じました。
 また、住民の声にも積極的に耳を傾け、新しい政策に取り入れていく柔軟な発想を持たれていました。例えば、光ファイバーを町内に敷いた時は、若い住民の声がきっかけでした。「インターネットができない町なんかに住みたくない」という声、社会環境の変化に対して、敏感に反応し、周辺市町村に先駆けてI CT基盤の整備が行われました。自身の知識だけでなく、様々な声からアイデアを生み出すことに積極的な姿勢が表れていました。
 関口さんが政策を進める時のモットーは「朝令暮改を恐れない」ということでした。自治体は大規模な事業が多く、一度始まった事業を変更することに逡巡しがちですが、それゆえに新しい事業を考えるときに、失敗できないという意識が働きすぎて実行に移せなくなってしまうといいます。環境の変化が速いこの時代において、「決断を遅れさせないこと。失敗で終わらせないこと。失敗したらそこからまた修正する決断をすればいい」という発想でどんどんと挑戦されていました。
 このようなアイデアの創造力と実行力が町づくりに存分に活かされていたように思います。

既成概念を取り払うこと

 関口さんは町長時代、ご自身の経験から得た「感覚」を大切にされていました。これまで一般的に言われてきた通説を鵜呑みにしない姿勢を貫いて来られたように感じます。
例えば、有権者を見つめる目です。選挙で投票に行く人は、一般的に高齢者が高い割合を占める傾向がありますが、だからと言ってお年寄りのためになる政策だけを考えていれば、票につながるのかというと、関口さんはそうではないといいます。むしろ子どもたちのための政策の重要性を語っておられました。「子どもたちのための政策をやっても、票につながらないからやらないという政治家がいるが、私は逆だと思う。子どもたちが喜ぶと、家族全員が喜ぶ。何よりも将来のある若い人たちのために政策を実行するのはとても重要なことで、首長になったら真っ先にやりたいと思っていた」と話しておられました。
 もう一つは、政策決定のプロセスです。関口さんは、合併の成功要因を「みんなで決めなかったこと」と語っておられたのが興味深い点でした。周辺の自治体が合併協議をまとめることができず、失敗しているのを何度も見て、その失敗の要因を、名前や本庁舎の問題と分析しました。そのため、紛糾する議題は村長同士で先に決めておくことされました。民意はその時の感情で動くところもあるため、時には政治家が政治のプロフェッショナルとして、町の将来を見据えて思い切った舵取りをすることも大切であるということでした。民主主義は、合議で決めることが一般的ですが、それだけではうまく政策は実行していけないという政治の奥深さを感じました。
既成概念にとらわれず、現場の感覚を大切にしながら、物事を進めていく大切さを知りました。

元村長の家に生まれ、中学の時に父から「わしがいつ死んでもいいように覚悟しておけ」と言われ、それから何よりも責任感を持って、社長として政治家として人生を歩んで来られた関口さん。半ば宿命的に政治の世界に入られ、町のために心血を注いで来られました。大きな物事を成し遂げるにはどうあるべきか、大変学びの多いインタビューでした。(辻和洋)

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